自分が【性同一性障害】だと気が付いた時

こんにちは!😊
今日は自分が性別に対しての違和感を覚えたときのこと、性同一性障害だと気が付いたときのことなどを書いていきたいと思います👌

俺が性別の違和を感じたのは、かなり幼いときでした。

幼稚園のとき、男の子と裸足で園庭を走ったり、砂場で泥だらけになって遊んだりしていました。
それが「普通」だと思ってましたからね💦

小学生にあがるとき、ランドセルの色で戸惑いました。
今はカラフルなランドセルがありますが、当時は男子が黒女子が赤。の時代でしたから、当然のように赤色のランドセルを用意されたときは、友達と同じ黒がいい…と思ってました。🎒
服装も、スカートは絶対に履きませんでしたが、キュロットってご存知ですかね??
ズボンの作りなんですが、見た目はスカートのようになってまして、それを履かされたときはもう恥ずかしくて恥ずかしくて…
休み時間は、男子がドッジボールやサッカーをしに行くので、必ず一緒に遊んでいました。⚽当然、女子一人だけ混ざって…。チャイムが鳴ったときにボールを誰が一番早く取るか!なんて競ったりもしてました🤣

初恋は、小学5年のときでした。球技大会でバスケの選手に選ばれたのですが、6年生の女子に恋をしていました。(のちに中学でバスケ部の先輩になるのですが、その時は怖かったなぁww)

高学年になると、なかなか男子の中で遊ぶことが出来ませんでした。頑張って女子の中に入り、周りと話を合わせていました。恋の話をすると、適当な子の名前を挙げていました。今考えると、適当ではなく、その男子に憧れていたんだと思います。恋愛の好き。ではなく、憧れの好き。
でも本当に好きな子は女性だったので、おかしいのかなって悩みました。

 

中学生のときは、バスケ部に入部して、バスケに打ち込んでいました🏀
野球が好きだったのですが、野球部は男子で、女子はソフト部…という性別で分けられているのが嫌で、バスケ部にしました。

制服でスカートが嫌でしたが、登下校のときしか制服は着ておらず、登校したらジャージに着替えて、授業もジャージで受けていました。運動部はみんなそうしていたので、クラスで浮くことはありませんでしたので、よかったです。
中学生時代は、過酷な時代だったので、別記事にしましょうかね💦


高校生になり、またもバスケ部に入部。ここでは部活の規則が厳しかったので、その中に「スカートを短くしてはいけない」というルールもあり、ひざ下のスカートでいかにもバスケ部です!って感じでした🏀(現在は、スラックスを履けた!という方が増えてきて、昔と変わってきたな…もっと広まればいいな!と思います!)
高校前後でしょうか…「t.A.T.u.」という女性ボーカルを御存知でしょうか。キャラ作りだということは後から知ったことですが、レズビアンの二人なのでは…という過激な海外の女性ボーカルユニットが一時流行りました。
その二人を見て、「レズビアンなのかな…」と考えるようになりました。女性のことが好き。t.A.T.u.の方みたいに女性にスキンシップしたい。そんな気持ちで、レズビアンなんだ…でもなんか違う。と、性別について悩んでいました。

高校生のとき、その悩みが解消される出来事がありました。

大好きな「3年B組金八先生」で、上戸彩さんが性同一性障害の役を演じたシリーズを見て、『こーれーだー!!!』と一気に悩みが吹っ飛びました。
男性として、生きたいんだ。男性として、女性が好きなんだ。そこから色々な方法で性同一性障害のことを調べることにしました。

調べれば調べるほど、自分と同じように苦しんでいる方がいることも知りました。
恐らく、金八先生性同一性障害を知った方や、同じだと気が付いた方は少なくないはずです。

そうして、自分の性別が男性であることに気が付き、男性として生きたい!という決心に変わりました。

ただ…
当時は、現在のようにLGBTという言葉も理解も認知もなく、学生のうちは何も出来ずに自分を押し殺して我慢して生きてきました。

自分を知ったこと。これが俺の第一歩だったのかなぁ、と思います!


読んでくれてありがとうございます😊
ではでは、そらでした~👋