いざ、親にカミングアウト【1回目】

こんにちは😊
今日は、親へのカミングアウトについてお話していこうと思います。
実は、親へは何回かカミングアウトしています。
その1回目のカミングアウトについてです!

 

前回記載した通り、性同一性障害だと分かって、自分でも腑に落ちることがありました。

小さい頃、ドラゴンボールの影響で、父親に「お前もいつか尻尾が生えてくるぞ!」と言われていました。

父親は“悟空みたいな尻尾”のことを言っていたと思いますが、俺はそのときから

「男性器が生えてくるんだ😍!!!」と信じていました。


ですが、初潮によって現実を実感しました。俺は割と早いほうで、確か小学5年のときに初潮を迎えたと思います。

「お赤飯炊こうね!」「ナプキンのつけ方はね…」嬉しそうにする母親を横に、俺の気持ちは沈むばかり…。

下着にナプキンを付けさせられて、血が出てくる…。思い出しても、もう経験したくないな、と思います…

しかし、初潮がきてから、1年ぐらい生理が止まりました。中学にあがり、バスケをやっていたので、たまに生理がきても、また数か月空いてしまう。
「女性」なら心配するところですが、俺にとっては「もう来なくていい!」と思っていたので、生理不順で逆に良かったと思います。

※のちの染色体検査で判明しましたが、俺は卵巣が小さく、もし妊娠するなら子供ができにくい体、と言われ、生理不順にも納得がいきました。

 

 

そんなこんなで、「性同一性障害」を知りつつも、親に勝手に決められた専門学校へ進学し、「進路」について考える時期が来たころです。

「レディーススーツなんて絶対着たくない…」

専門学校の入学式で、親にパンツのレディーススーツを着せられたときに、ものすごく気分が落ちたので、もう二度とあんなもの着るか!と思っていました。

しかし、就職活動はスーツ必須…。専門学校では、セミナーやスーツ登校なんてものがあり、悩んだ結果、先生にカミングアウトして、私服で登校して教室や喫煙所で過ごすという特例を設けてくれました。数名の友達にはカミングアウトしていたけれど、全員にカミングアウトすることは無理だ…。
でも、いつまでもこれじゃダメだ。就活までは逃げられない。

そこで初めて親に「カミングアウトしよう」と決意しました。

 

 

ある土曜日。今日、絶対カミングアウトする。そう決めた当日のお昼過ぎ。

いつものように、昼食を食べ終えてテレビを見て団らんしている親がいました。

自分の部屋で、「今だ…」と決めて、ドアノブに手をかけては引っ込めて…

何回も繰り返してました。気持ち悪くて吐きそうになりつつも、今日だ…今日言おう。

タイミングを見て、ドアを開けて「話があるんだけど。」そう発言しました。

 

親はついていたテレビを消して、真剣に話を聞くモードに入っています。

俺は、自分の心と体の性別に違和感があること。性同一性障害だと思うから、男性として生きていきたいこと。治療をしたいこと。メンズスーツで就職活動をしたいこと。自分の言葉で、声が震えながらも頑張って伝えました。

親からの返事は

「テレビの影響だ」「勘違い」「気のせい」

 

やっぱりな。

自分の親がすんなりと応援するとは、はなから思っていませんでした。

しかし、少しでも期待していた自分がいたと思います。

「まずは診断書をもらってこい」

そう言われたので、俺は、メンズスーツを買って就職活動すること。就職先が見つかったら一人暮らしすることを伝えました。

この親と一緒にいても無理だ。一人暮らしして、性同一性障害の診断書をもらおう。まずはそこからだ。

そう思って、バイトで貯めたお金でメンズスーツを買い、就職活動を始めました。

 

 

学校へもメンズスーツを着ていきましたが、カミングアウトしてない人にも特に何も言われませんでした。

就職活動では、面接のタイミングで「性同一性障害」とカミングアウトしていました。

それで落ちればそこまでの会社だ。理解してもらわないと進まない。

ある会社では、1度面接が終わったのに、人事の方に「面接官と個別で話したいことがあるのですが。」と伝えて、カミングアウトする場を作ったりもしました。

 

 

そして就職活動3社目。
1次面接…取締役面接…社長面接…会長面接………内定!

思っていたより早く内定をもらうことが出来ました。

 

バイトを増やし、内定先のバイト募集も応募して掛け持ち勤務をし、ついに一人暮らしを始めました。

さすがに初期費用は自己負担できなかったので、少し親に出してもらいましたが、一人暮らしには反対しなかったので、アパートの契約はすんなりと出来ました。

 

 

これで、落ち着いたらジェンダークリニックに通うぞ!

 

そうして、1回目の親へのカミングアウトを終え、親を説得するためにも、診断書を取得するという考えに至りました。

 

 

 

19,20歳のときのお話ですが、今よりも行動力があったような感じがします🤣
しかし、社会人2年目。思ってもいなかった壁にぶち当たります。

 

 

今回はこの辺で終わりにしたいと思います!

ではでは、そらでした👋

自分が【性同一性障害】だと気が付いた時

こんにちは!😊
今日は自分が性別に対しての違和感を覚えたときのこと、性同一性障害だと気が付いたときのことなどを書いていきたいと思います👌

俺が性別の違和を感じたのは、かなり幼いときでした。

幼稚園のとき、男の子と裸足で園庭を走ったり、砂場で泥だらけになって遊んだりしていました。
それが「普通」だと思ってましたからね💦

小学生にあがるとき、ランドセルの色で戸惑いました。
今はカラフルなランドセルがありますが、当時は男子が黒女子が赤。の時代でしたから、当然のように赤色のランドセルを用意されたときは、友達と同じ黒がいい…と思ってました。🎒
服装も、スカートは絶対に履きませんでしたが、キュロットってご存知ですかね??
ズボンの作りなんですが、見た目はスカートのようになってまして、それを履かされたときはもう恥ずかしくて恥ずかしくて…
休み時間は、男子がドッジボールやサッカーをしに行くので、必ず一緒に遊んでいました。⚽当然、女子一人だけ混ざって…。チャイムが鳴ったときにボールを誰が一番早く取るか!なんて競ったりもしてました🤣

初恋は、小学5年のときでした。球技大会でバスケの選手に選ばれたのですが、6年生の女子に恋をしていました。(のちに中学でバスケ部の先輩になるのですが、その時は怖かったなぁww)

高学年になると、なかなか男子の中で遊ぶことが出来ませんでした。頑張って女子の中に入り、周りと話を合わせていました。恋の話をすると、適当な子の名前を挙げていました。今考えると、適当ではなく、その男子に憧れていたんだと思います。恋愛の好き。ではなく、憧れの好き。
でも本当に好きな子は女性だったので、おかしいのかなって悩みました。

 

中学生のときは、バスケ部に入部して、バスケに打ち込んでいました🏀
野球が好きだったのですが、野球部は男子で、女子はソフト部…という性別で分けられているのが嫌で、バスケ部にしました。

制服でスカートが嫌でしたが、登下校のときしか制服は着ておらず、登校したらジャージに着替えて、授業もジャージで受けていました。運動部はみんなそうしていたので、クラスで浮くことはありませんでしたので、よかったです。
中学生時代は、過酷な時代だったので、別記事にしましょうかね💦


高校生になり、またもバスケ部に入部。ここでは部活の規則が厳しかったので、その中に「スカートを短くしてはいけない」というルールもあり、ひざ下のスカートでいかにもバスケ部です!って感じでした🏀(現在は、スラックスを履けた!という方が増えてきて、昔と変わってきたな…もっと広まればいいな!と思います!)
高校前後でしょうか…「t.A.T.u.」という女性ボーカルを御存知でしょうか。キャラ作りだということは後から知ったことですが、レズビアンの二人なのでは…という過激な海外の女性ボーカルユニットが一時流行りました。
その二人を見て、「レズビアンなのかな…」と考えるようになりました。女性のことが好き。t.A.T.u.の方みたいに女性にスキンシップしたい。そんな気持ちで、レズビアンなんだ…でもなんか違う。と、性別について悩んでいました。

高校生のとき、その悩みが解消される出来事がありました。

大好きな「3年B組金八先生」で、上戸彩さんが性同一性障害の役を演じたシリーズを見て、『こーれーだー!!!』と一気に悩みが吹っ飛びました。
男性として、生きたいんだ。男性として、女性が好きなんだ。そこから色々な方法で性同一性障害のことを調べることにしました。

調べれば調べるほど、自分と同じように苦しんでいる方がいることも知りました。
恐らく、金八先生性同一性障害を知った方や、同じだと気が付いた方は少なくないはずです。

そうして、自分の性別が男性であることに気が付き、男性として生きたい!という決心に変わりました。

ただ…
当時は、現在のようにLGBTという言葉も理解も認知もなく、学生のうちは何も出来ずに自分を押し殺して我慢して生きてきました。

自分を知ったこと。これが俺の第一歩だったのかなぁ、と思います!


読んでくれてありがとうございます😊
ではでは、そらでした~👋

はじめまして!FTMの想空です😊

はじめまして😆想空(そら)です!

初めての投稿は、自己紹介としましょうか…👌

プロフィールにある程度記載させて頂きましたが、33歳千葉県住み。海は見えません🤣
現在、パートナーのヒロ🍺と、愛猫のミィの助😸と一緒に暮らしています。

俺は、性同一性障害(FTM)で、体は女性として産まれてきましたが、心の性別は男性です。現在、戸籍を男性に戻すべく、治療をしているところであります。

ホルモン注射、改名済み。オペはまだです。

 

俺は21歳のときに、ガイドラインに沿ってカウンセリングを始めました。

そして23歳のときに「性同一性障害」の診断書を取得しました。

しかし、治療を始めたのは31歳のときです。

 

なんで約10年も治療しなかったの?なんで31歳になってから治療始めたの?

どんな病院でカウンセリングしたの?

どこでホルモン注射打ってるの?いくらするの?

改名の名前はどう考えたの?必要なものは?

そもそも、なんで性同一性障害だと思ったの?

 

などなど、治療に関することから、治療の流れなど、様々なことを発信していきたいと思っております。

 

また、これから予定しているSRSについてや、戸籍変更に必要な書類や手続きについても発信出来たらと思います😊

同じLGBTの方、FTMさんに、一つの情報として発信していこうと思っているので、絶対に「コレ!」というものはありません。

そこだけはご了承くださいm(__)m

 

少しでも勇気や希望を与えられるようなぶろぐになりますように…

そんな想いで投稿していこうと思います!

よろしくお願いいたします😊

 

ではでは!そらでした👋